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【ヒット夜明け前】アドリブから生まれた河本準一の決めゼリフ

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2019.05.24 11:00 最終更新日:2019.05.24 11:00

【ヒット夜明け前】アドリブから生まれた河本準一の決めゼリフ

 

 次長課長河本準一さん(44)と言えば、ボケもツッコミも器用にこなし、とんねるずやダウンタウンといった大物芸人からの信頼も厚い、今年24年目を迎える中堅芸人だ。

 

 河本さんの代表的なギャグと言えば、目を寄り目にして前歯を出して、「お前に食わせるタンメンはねぇ!」というフレーズ。これはジャッキー・チェンの映画に出てくる、中華料理屋の店員が言いそうなセリフのものまねだ。

 

 

 このフレーズは、ある時期、どの番組に出ても自己紹介代わりに使用した河本さんのキラーフレーズでもある。はたして、このキラーフレーズはどのような経緯で誕生したのか。今回は「お前に食わせるタンメンはねぇ!」の「ヒット夜明け前」に迫る。

 

相方の井上聡さん(44)とは中学の同級生で、それぞれ別の高校を卒業し、岡山からともに大阪のNSC(吉本のお笑い養成所)に入学。その後、大阪で7年間過ごし、2002年に東京に進出した。

 

次長課長の場合、大阪のレギュラー番組を整理して鳴り物入りで東京に出てきたダイアンやかまいたちとは大きく状況が違った。

 

「当時、僕らのレギュラーは小さなコミュニティFMラジオが1本あっただけです。大阪で仕事もないし、この先、増える見込みもなく、『このまま終わるのか?』と思ってました」(河本さん)

 

 そんな状況で東京に出てきた彼らに与えられた仕事は、月1回の若手芸人が多数出演するライブだけ。奥さんも働いていたため、小さい子供を託児所にあずけ、2年ほどバイトに明け暮れる日々が続いた。

 

 しかしチャンスは突然舞い降りた。2004年の『とんねるずのみなさんのおかげでした』内のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」だ。

 

「あの番組で初めてやったネタが、ジャッキー・チェンの映画に出てくる定食屋の店員のモノマネです。『そうは酢豚の天津丼だ!』というフレーズを言ったんですよ。これは実際に映画の吹き替え版で言っているセリフなんです」

 

 最初に発したフレーズは、後に河本さんの代名詞となる、あのキラーフレーズではなかった。このフレーズは前後のセリフがあれば意味が伝わるが、単体だとセリフ内にメニュー名が多く、わかりづらい。

 

 その場の出演者もそう感じたのだろうか、とんねるずの石橋貴明さんから「他にもメニューがあるんじゃないか?」というフリをもらったという。

 

「そんなことを貴さんが言ってるなんて知らない僕に、突然スタッフが駆け寄って来て『他のメニューですぐにやって』って言われて。

 

『いや、これは実際に映画で言ってるセリフのモノマネなんで、他のはないです』って言ってたら、いきなり登場音がなったので、しょうがなく出て行ったんです。

 

 そこで頭の中に中華料理のメニューをいっぱい並べて、ピョーンと引っ張ったらタンメンという言葉が出て来たんですよ。その後の『お前に食わせるタンメンはねぇ』というフレーズは、意識がぶっ飛んだ状態で言ってますね。それが、めちゃくちゃウケたんですよ」

 

 同じ年の年末に『人志松本のすべらない話』がスタートした。第1回放送で松本人志さんがフッた1投目のサイコロの出目は「河本」だった。しかもその日、6回も当たり、用意していたトークが尽き、急遽同じ話をしたりもした。

 

「そのときは3分のトークから『姉がレズです』という4秒で終わるもの、同じ話をするといったバリエーションを見せることができました。それにより松本さんから、トークができる奴という “名刺” をいただきました」

 

 同じ話をもう一度するという、普通のトーク番組では考えられない展開だったが、河本さんのとっさのアドリブ力で、大きなインパクトを残したのだ。

 

 河本準一さんの「ヒット夜明け前」には、2004年にとんねるずの石橋貴明さんとダウンタウンの松本人志さんから、「メニュー」と「サイコロ」というフリをもらって、そのフリに必死に応えたアドリブが存在していたのだ。

 

取材・文/ インタビューマン山下

 1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・お笑い記者

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